凌羽の顔を見て、奈々未は安心した。
このまま山端に敗れ、もう二度と会えないかもしれないとおもっていたからだ。
凌羽が降車してくる。
特事の車に同乗し、スタッフにここまで送りとどけてもらったようだ。
凌羽はかけよりながら、冷静に奈々未のダメージを確認する。
まず最初に目がいったのは、右足の義足だった。
切断されている。
だが奈々未に痛がっているようすはない。
次に目がいったのは、セーラー服の左脇腹にべっとりとついた血液だ。
純白の制服を赤く汚している。
一瞬、大ケガでもしたのかとおもったが、そうではない、とおもいなおした。
その血痕はさきほどたすけた、純一のものだろう。
肩を貸したときに付着したのだ。
あとは肩や腕、太ももなどについた小さな切り傷だ。
山端の攻撃を最小限におさえた結果であろう。
その傷からの出血も、神威のおかげか、すでにおさまっているようだった。
神威を発動している状況では、回復力もあがっている。
よほどの大ケガでない限り、致命傷になることはまれだ。
よかった。
それほど深刻なダメージはないみたいだ。
そう判断して、おもわず表情がゆるむ。
「りょ、凌羽……」
気が抜けたように奈々未は笑った。
その目にはもう、銀色の光はなかった。
奈々未は、ふぅ、とため息をついて後方の壁にもたれると、脱力してしゃがみこみそうになった。
「な、奈々未さん」
凌羽はすぐさま奈々未に肩を貸す。
「あ。ありがと」
「足は……?」
「うん。義足、壊れちゃったよ」
疲労感がうつむく顔にあらわれている。
「さ、ここからでましょう」
凌羽はトンネルからはなれ、避難することをうなす。
「失礼しますよ」
そういうと、奈々未の確認もとらずに、腰と左足に手を回した。
「ひゃ」
みじかく悲鳴をあげた奈々未を、上半身裸の凌羽が軽々と抱きあげた。
お姫様だっこだ。
普段は着やせしている凌羽の胸板や腕の力こぶが、自分の体を抱えるために盛りあがり、かたく張っているのがわかる。
神威を発動しているときほどの筋肉量ではないが、それでも男らしさを感じた。
なぜかすこしドキドキする。
それは凌羽が半裸で、しかもぴったりと自分にくっついているからだ。
やけにピンク色のビーチクが近いからだ。
他意はない。
ないはずだ。
そうおもいながらも奈々未のほほは、ぽっと赤らんだ。
「奈々未さん?」
急に声をかけられた。
「え? え?」
「熱でもありますか?」
赤面している奈々未に凌羽が気づき、おでこを近づけてくる。
奈々未のひたいから熱でもはかろうというのだろう。
両手がふさがっているために、それ以外に方法が無いのだ。
「ちょちょ、だいじょうぶだって」
近づいてくる凌羽のおでこに、照れながら掌底を打ちこんだ。
「ぐふぅ」
急な衝撃に軽いめまいがし、凌羽からおかしな声がもれた。
同時にヒザから崩れ落ちそうになるが、たたらをふんでこらえた。
「もぅ!」
奈々未が凌羽から目をそらす。
奈々未の心情がわからず、なぜ機嫌をそこねたのだろう、と凌羽は首をかしげた。
そのとき。
――ぱんッ!
凌羽たちの背後で、かわいた音がした。
銃声だ。
ふたりの背筋がびくっとのびた。
特事のスタッフたちが、地面にころがった山端に追い打ちをかけるため、弾丸を撃ちこんだのだ。
一発目の発砲を合図に、無数の銃声がトンネル内に響き渡った。
四人のスタッフは二丁拳銃の引き金を何度も引く。
山端に弾があたるたび、ずんぐりむっくりした体が、まるで踊るようにはずむ。
全弾命中。
特別な訓練をつんできた男たちは、数十発の弾丸を一発もはずすことはなかった。
硝煙の下にころがる山端の体は、文字通り蜂の巣のようになっている。
声ひとつあげることなく、流だした大量の血液が、とぷとぷと音をたてながら地面を濡らしていく。
しかし、スタッフたちは臨戦態勢を解かなかった。
すべての銃声がやんだときにはもう、凌羽と奈々未はトンネルの外にでていた。
鼓膜がしびれ、耳の奥がわんわんする。
夕暮れが近づき、周囲の雑木林には、光よりも闇の分量のほうが多くなってきていた。
「奈々未さん。義足のことなんですけど」
「うん?」
「スペアがもう一台の車につんであるそうなんです」
もう一台の車とは、救急車を先導していった特事の車両のことだろう。
「もしかしたら必要になるかも、とおもって待機場所から連絡しておきましたから、すぐにもどってくるとおもいます」
「そっか。わかった。気がきくじゃん」
凌羽の報告に相づちをうちながら、
「あ、ねぇ凌羽。その車の脇でいいよ」
と純一親子が乗り捨てていった事故車を指さした。
「え? いや、ここじゃ危険です。トンネルはすぐそこだし」
「だけどさ、はやくたすけにいってあげないと、スタッフの人たちだって危ないでしょ?」
ふたりの会話は、すでにズタボロになっている山端に対して、危機感を抱いているようなものだった。
事実、特殊車両ではね飛ばし、数十発の銃弾を撃ちこんだところで、勝負がついたとおもっている人間はこの場にはいない。
神威を発動した者を人の手でたおすことはほぼ不可能なのだ。
「でも……」
凌羽は逡巡する。
なによりも。
誰よりも、奈々未を守りたい。
そのためにはスタッフたちと待機場所として決めていたポイントまで連れていくのが一番なのだ。
だが、マガタマをもつ者として、人命を救うことが最上の条件であることもわかっている。
「凌羽。ホントはね、わたし、さっきから腰が痛くてさ、ちょっと座りたいの。ね。だから、車のかげにおろして」
自分のことをおもってくれている凌羽に対し、使命感どうこうというかた苦しいことはいいたくない。
だから奈々未は、腰が痛い、といったのだ。
そのほうが柔軟な返事をしやすいだろう。
奈々未のわがままだからしかたないと判断するだろう、とかんがえたのだ。
だが、凌羽にはそれがウソだとすぐにわかった。
腰痛を理由に、自分を本来の任務にもどそうとしているのだ、と。
「わかりました。じゃ、車のかげに……」
「うん。おねがい。そのガードレールのとこがいいな」
たがいにたがいの心情をくみとりながら、言葉を選ぶ。
凌羽は奈々未をゆっくりと地面におろした。
「ふぅ。ああ腰が楽になったよ。ありがと、凌羽」
さびたガードレールにもたれながら、奈々未がほほえむ。
「そういえば、サプリは飲んだの?」
奈々未が心配そうに聞く。
「あ、はい。おかげさまで、ふたビン飲みました」
「うぇぇ、そんなに?」
試作品だけあって、回復サプリはかなりマズイ。
消毒薬とヨーグルトをまぜたような味。
食感は、石ころでも口に入れたような感じである。
効果は十分期待できるが、あの味に奈々未は慣れない。
「あ、そうそう。これ」
凌羽はジャージズボンのポケットから、ティッシュでくるんだものをとりだす。
奈々未は受けとりながら、イヤな予感がした。
「やっぱり」
奈々未はティッシュを開き、しぶい顔をした。
くだんのサプリだ。
十五錠もある。
つまり点滴十五回分。
気をきかせて奈々未の分も残しておいてくれたのだ。
「だめですよ、飲まなきゃ」
奈々未の好みを知りつつも、凌羽はいたずらっぽくいいはなつ。
「飲むまで、ちゃんと見てますよ」
「むぅ……」
観念して、奈々未がほおばる。
ホラ食べたよ、とばかりに上目づかいで凌羽をにらみ、ボリボリと噛みくだくのを見とどけると、
「うん。よし。……じゃ、ボク、もどりますね」
とほほえんで背をむけた。
凌羽はふたたび戦場へもどるのだ。
その背中に何かいってやりたいと、奈々未は口内のサプリをいそいで飲みこむ。
そして、
「凌羽! 気をつけてね! ここで待ってるから! ちゃんと迎えにきてよね!」
そう声をかけた。
だが、返事がない。
濃くなっていく夕闇に、凌羽の姿が飲まれていく。
その左右の手に、青白い炎がともった。
おそらく、臨戦態勢になったのだろう。
そんな凌羽を見送りながら、ふと奈々未は不安になった。
今、凌羽の瞳は何色なのだろうか。
神威を理性でおさえ、きちんと銀色の光を宿しているだろうか。
怒りに我を忘れた魔人のように、まがまがしい赤い光で満ちていないか。
どんどん遠くなる凌羽の背中に、たずねてみたかった。
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