天獄ランデヴー  第25話  『脱皮』




天井の電燈が、トンネル内部をくっきりと浮かびあがらせていた。

ほぼ中央には黒いセダンが乗り捨てられている。

特事のスタッフがここまで乗ってきた車だ。

そのむこうに、ずんぐりむっくりした人影があった。

山端だ。

車にはねられトンネルの外に飛び出したはずだが、もどってきたのだろう。

山端は猫背になって、路面に視線を落としている。

剣化した右手からは、赤い液体がぽたぽたとしたたっている。

血。

アスファルト上に倒れたまま、ぴくりとも動かなくなった四人のスタッフたちの血液だ。

そんなトンネル内に、いきおいよく凌羽がかけこむ。

血臭。

静寂。

奈々未を救出するために山端を強襲した特事のスタッフは、すでにただの肉塊だった。

凌羽は一瞬で戦況を判断した。

だが走るスピードを落とさない。


そのまま、特事のセダンを前蹴りする。

ごっがんッ、という衝突音と同時に、蹴りだされた車が山端の体にせまる。


「ふんッ」


すでに凌羽の接近に気づいていた山端は鼻で笑った。

飛びかかる車体めがけ、右手をふりおろす。

ずりゃんッッ、という金属音のあと、絹ごし豆腐でも切断するかのように車体がまっぷたつになる。

そんなセダンの残骸は、トンネル外に飛びだし、十数メートルさきに落ちた。


つぎの瞬間、山端はハッとした。

すぐ目の前に、青い火の玉があったからだ。

オーラをまとった凌羽のゲンコツ。

右手の剣をふりおろした体勢を狙われた。

かわすヒマがない。

とっさに左腕でガードをする。

が、ない。

左腕がない。

さっき、奈々未によって切り落とされていたのだ。

痛みを感じなくなっていたことで、すっかり忘れていた。


べぎゃんッ。

山端の鼻骨に、凌羽の右拳が叩きこまれた。

強い衝撃で顔があがり、のけぞったまま吹き飛んだ。

一瞬、意識が遠のく。

減速せず一直線に飛んだ山端は、ふたたびトンネル外にでて、まっぷたつになった車の残骸に激突した。


「ぐ、ぐぞォォォ~ッ!」


背中の痛みにこらえ、山端はよろよろと立ちあがる。

身をおこしながら、五つの目がぐるぐると回り、凌羽を探す。

視界に入った凌羽は、こちらへなにかを投げるフォームをしていた。

その手を見ると、拳銃がにぎられているのに気づく。

特事のスタッフが使用した拳銃だ。

だが、弾丸はすべて使い切ったはずだ。

そんな拳銃を、凌羽は投げてこようとしている。


「ふんッ!」


容易だった。

軽く体をひねるだけで、投げつけられた拳銃を難なくかわした。

だが、今の行動にも、なにか意味があるのか? と瞬間的に思案する。

そのとき、後方へ飛んでいった拳銃に視線をあわせた左コメカミの目が、小さな火花を目撃した。


「――ぬッ!」


山端の脳ミソが、全身に退避勧告をだす。

とっさにうつぶせる。

すぐに背後で、ドカン、とはげしい爆発音がした。

凌羽の投げつけてきた拳銃。

それがまっぷたつになった車体の金属部に当たり、そのときにでた火花が、もれだしていたガソリンやオイルに引火したのだ。


「ガキがッ! イキなことをしやがってッ!」


赤い炎と黒煙が立ちあがっている。


「なかなかすばやいな、おっさん。はいずる姿がガマガエルみたいで最高だったよ」


好戦的な笑顔を浮かべながら凌羽がいう。

瞳には銀色の光が宿っていた。


「今度はおまえが相手か。……いいだろう。ただの人間虫どもじゃ、歯ごたえがなさすぎるからなァ」


特殊な訓練をほどこされ、格闘技術や銃火器のあつかいにもたけている特事のスタッフをかんたんにたおせるのは、山端が神威を発動させているからだ。

一般的な人間が特事のスタッフと対峙した場合、その包囲網から抜けだすことは不可能なのである。


「そうか。なら奥歯がくだけるくらい噛みごたえのあるものを見せてやる」


「おん?」


「本気の、オレさ」


ニヤリと笑った凌羽のひたいに、一本のたて線が走った。

その線は眉間、鼻筋とくだり、のど仏にいたる。

そして半裸の上半身を下へたどっていき、みぞおち、へそ、ジャージズボンの内部へとまっすぐ入っていった。


そのようすをじっと見ていた山端だが、何がおきているのかさっぱりわからない。

だが、凌羽の瞳の銀の輝きが、チカチカと明滅しているのに気づいた。

ほぼ同時に、

ずぼッ、

という音がして、凌羽の顔から何かが突きでてきた。


腕。

それは黒い鉄のような色の、右腕だった。


「お、おん……?」


山端は目をうたがう。

凌羽の顔面がたて線にそって割れ、中から、黒鉄色(くろがねいろ)の腕が一本生えてきたのだ。

そんな凌羽の目はうつろで、なにも見ていないようだった。

ふたたび、

ずぼッ、

という音がして、もう一本、腕が飛びだした。

今度は凌羽のノドもとからだった。


黒鉄色の、左腕。

そんな二本の腕は、ゆっくりと凌羽の皮膚をつかみ、左右に引き裂いていく。

ビリビリと紙袋でも破かれていくような音がして、ひたいから下腹部までつづく体の中心線にそって、皮膚がきれいにわかれた。


「だ……、脱皮でもしてるのか……?」


山端が連想したままを口にした。

左右にはがれ落ちた皮膚は、すべて煙のように消えた。

入れかわるようにそこに立っていたのは、全身黒鉄色で、ジャージズボンをはいた男だった。

両肩にはネオングリーンの文字のようなもの浮かび上がっている。

神紋とよばれるものだ。

だが、それがどんな意味なのかは解読できない。


銀色の髪。

銀色の目。

それらが黒鉄色の肌と相まって映えている。

山端は、正体不明の男の顔を凝視した。


「おまえは……」


凌羽だ。

たたずまいはすっかり変わったが、その面影は凌羽のものだった。


「なんだ、その体は……?」


山端が語りかける。


「試練だよ」


静かな声だった。


「……おん?」


「おっさんが自由になるための、試練さ」


小バカにするように、凌羽が口をゆがめた。


「ふん。なるほどな。本気になったおまえをたおすことが、ここからでて街にむかうためのフリーパスがわりってわけか」


「ま。たおすことができれば、な」


黒い凌羽は不敵に笑った。


「おまえを切り裂く前にひとつ聞いておこう。キサマに神威をあたえている神の名はたしか――」


山端が記憶をたどる。


「オオナムチだ」


凌羽がたすけ舟をだす。


「おう。そうだそうだ。そのオオナムチってのがどんな神なのかをな、不勉強なオレにご教授してくれよ。おまえが死んじまってからじゃ、聞くに聞けないもんなァ」


いやらしい笑顔でいう。

凌羽は一拍おいて


「いいだろう」


とうなずいた。


「オレの身に降ろしているオオナムチってのはな、二度、死んでるんだよ」


「おん?」


「そして二度、生きかえった」


「ほう」


「オオナムチには数十の兄弟がいてな、末っ子のオオナムチはいつも使いっ走りにされていた。ある日、兄神たちはひとりの女神に求婚した。自分たちの内から誰かを選べ、とな。だがその姫神は、オオナムチを選んだ」


「まさか、それで兄貴たちに殺されたのか?」


「そのとおりだ」



余談であるが、女神のもとをおとずれる途中、一行は瀕死のウサギに出会う。

そのとき、オオナムチだけがウサギの命をたすけてやった。

ウサギはいった。

女神が結婚相手に選ぶのは、心やさしいあなたでしょう、と。

そして結果は、ウサギのいったとおりになったのだった。

そのウサギこそ、有名な〈因幡(いなば)の白ウサギ〉である。


「――んで、どうやってその神は生きかえったんだ?」


「母神がもってきた秘薬のおかげらしい。そして三度目、殺されそうになったオオナムチは、母神のすすめによって世を去った」


「おん? 自殺したのか?」


「いや。生者の世界と死者の世界のあいだにある、〈根(ね)の国(くに)〉にむかったんだ」


「根の国? 聞いたこともないぞ」


「そこに身をかくすことで、オオナムチは兄神たちから逃れることができたのさ」



異界に渡ったオオナムチは、そこで根の国の主に会う。

毒虫をけしかけられたり、炎にまかれて死にかけたりと、さまざまな試練をあたえられたが、その後、根の国で手に入れた武器によって、兄神たちを討ち滅ぼす。

「ふぅん。……で? おまえが生きかえるってのは、そのへんに秘密があるのか?」


「そうだ。オレはつねに魂をふたつにわけている。その半分は根の国に保管しているんだよ。いってみれば、自分の意識で分裂できるドッペルゲンガーみたいなもんかな」


ドッペルゲンガーとは、鏡に映った自分を見るような現象を指す。

オカルト的には死の兆候ともされ、もうひとりの自分を見たものは死期が近いともされている。


「じゃあなにか? さっきのおまえは今、根の国にいるってことか?」


「ああ、そういうことだ。魂を入れかえたからな。……もうひとりのオレがおまえに殺されたとき、神威が自動発動したのも、オレがむこうでピンピンしてからだ」


「なるほどな……。ってことは、こっちのおまえを殺しても、根の国にいるもうひとりを殺さない限り、また生きかえってくるってのか?」


「いや。発現したオレをたおせれば、むこうのオレもただではすまない。凌羽という人間のエネルギーのほとんどをオレが所持しているからな」


「つまり、むこうのおまえは生きかえらずに、完全に死ぬんだな?」


「ふん。まぁな。根の国からもどれなけりゃ、死んだのとかわらない」


「ふかか。そりゃあ、めんどうくさくなくていい」


笑いながら、右手の刀をなめた。

きたならしいツバが糸を引く。


「んじゃ、しまいにするか。死ぬ覚悟、しておけよッ!」


ニヤつく山端の五つの目が、キッと凌羽を見た。


「ふんッ! 奈々未にケガをさせた数万倍、タコなぐりにしてやるッ!」


応戦の意思を見せた凌羽の、両肩にある神紋が、蛍光グリーンの光を発した。


「こいッ! 太郎冠者(たろうかじゃ)ッ!」


右手をかかげ、凌羽が叫ぶ。

瞬間、アスファルトの地面がくだけ、地中からなにかが飛びだしてきた。

トンネルの天井付近までのびたそれは、巨大な、帯のようであった。


「な、なんだ、 こ、こいつは……ッ!」


見あげた山端が、おもわず声をあげた。

ムカデ。


山端と凌羽のあいだに割って入るようにあらわれたそれは、青白い色をした巨大なムカデだった。





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