天獄ランデヴー  最終話  『凌羽と奈々未』




山端は頭をゆっくりあげ、トンネルの南口に目をやる。

奈々未が声の主だった。

青ざめた顔でトンネル内をきょろきょろと見回している。

凌羽を目で探しているのだろう。

だが、トンネル内部を確認することなどさほど時間はかからない。

その場に凌羽がいないことをすぐに察したようだった。


「ざぁーんねんだったなぁ。死に目に会えなくてよぉ。ふかかかか」


よろよろと立ちあがりながら、山端は奈々未をからかう。

神威の発動を止めたおかげで、山端の体調はもどりはじめている。

だがもうすこし。

もうすこし時間がいる。

小娘と戦うためには、まだ時間が必要だ。


そのとき、山端は、ふとおもった。

十数メートル先に立つ奈々未に、疲労の色はないように見える。

さきほどまで、あれだけやりあっていたのにもかかわらず、だ。

どういうカラクリだろうか。

なにか体力を急激に回復させる方法でもあるのだろうか。

そして、あの足。

奈々未にはきちんと両足がある。

新品に見える黒いレギンスまではいている。

しかし、義足はさっき壊してやったはずだ。

だとすれば、スペアか。

そうか。

あの黒服共か。

さっき殺った連中の仲間が、まだどこかにいるのか。

奈々未は思案している山端にむかって、つかつかと迷いなく歩みよってくる。


「ふかかか。ちょうどいい。探す手間がはぶけたよ。オレの自由のために、おまえの命も――」


「――凌羽は?」


まるで山端の声を打ち消すように奈々未がたずねる。

奈々未には、山端の言葉を聞く気はないらしい。


「おん? 見りゃあわかるだろ? アイツは――」


「――前置きはいいッ! はやく答えてッ!」


じれた奈々未が声を荒げる。

その目には強い怒りがこもっていた。


「ふん。惨殺してやったよ。このオレがなッ! ふかかかッ!」


勝ち誇ったように大笑いする山端。

奈々未は顔をひきつらせたまま、二の句をつげない。


「ヤツはな、いまわのきわにも何もいえず、霧になって消えちまったよッ!」


ショックを受けている奈々未に、さらにダメ押しでもしようと、最期のようすを聞かせた。


「え……? 霧?」


こわばっていた奈々未の顔に表情がもどった。


「ああそうだ。シュウシュウいいながら消えていったぞ。ふかかか」


山端はふたたびたからかに笑う。

だが、


「なーんだ。そっか」


と、奈々未が全身の緊張を解きながらいい、ふぅ、とひと呼吸ついた。

山端はその声色と態度を意外に感じる。


「おん? 悲しくないのか? 相棒が死んでよぉ?」


山端の問いかけに奈々未は答えず、


「それ」


と指さした。

その細い指先は、まんじゅうのようにでっぷりした山端の腹部にむけられている。


「おん?」


うながされ腹に視線をむける。

すると、ヘソのすこし上に、黒い点があった。


「なんだ?」 


首をかしげていると、その点が、たて線に変化する。

そしてミゾオチにむかってあがってきた。

まるで透明な誰かが、サインペンで腹に落書きでもしているようだった。


「おじさんさ、見たんでしょ? 凌羽の脱皮」


逡巡する山端に、ヒントをだすように奈々未がいう。


「あ!」


この線。

おぼえがある。

そうだ。

これは凌羽の体の中から、もうひとりの黒い凌羽がでてきたときに見たあの線だ。


「わかった?」


答えを導きだしたであろう山端に、奈々未がいう。

そのあいだも、山端の腹から胸にかけて、黒い直線はゆっくりとあがってくる。


「だ、だがなぜだッ? なぜオレの腹にこの線がッ?」


いいようのない不安であぶら汗がでる。

奈々未はこちらを見ているだけで、返事をしない。

腹をこすっても線は消えない。


まさかッ。

まさかまさかッ。

オレの腹の中から、なにかでてくるのかッ?

ヤツがッ? 

ヤツがでてくるのかッ?

じゃ、じゃあヤツは死んでいないのかッ? 

それともまた生きかえったのかッ?


い、いや、恐れることはない。

いくらか体力がもどっている。

だからもう一度。

もう一度神威を発動させればいい。

そうすれば、腹からなにがでてきても、瞬時に斬り殺せる。


そうだッ。

そうしようッ!


「ふくく……」


汗だくの山端はいやらしい笑みを浮かべた。

そのときだった。


ずぼんッ、という音と同時に、山端のミゾオチから、腕が一本飛びだしてきた。

ゲンコツをかたくにぎっている左腕だ。

だがあせりはしなかった。

予想したとおりだったからだ。

山端は眼前の異変に対応すべく、意識を集中し、力んだ。

フツヌシの神威を発動し、この忌々しい腕を切断すれば済むのだ。

だが。


「う? ……ぉおん?」


でない。

神威がだせない。


「――な、なぜだッ?」


狼狽する山端の腹から、もう一本、右腕も飛びだしてきた。

痛みはない。

つづけて、ズルリ、と凌羽の頭がでてきた。


そのとき気づいた。

凌羽の肌は、黒い鉄のような色をしていない。

つまり、根の国の凌羽ではない。

ふつうの凌羽なのだ。


しかし、そんなことはもはやどうでもいい。

なぜ神威が発動できないのか、ということで頭がいっぱいだった。

神威の再発動に関して、なにか自分が知らないルールでもあるのか。

特別な手順でもあるのか。

あせればあせるほど、汗があふれる。


「ぐ、ぐぞぅッ! なぜだッ! なぜぇッ!」


錯乱したかのように叫ぶ山端。

次の瞬間。


びりゃびりゃびりゃッ、というすさまじい音が聞こえた。

山端の腹の皮膚が、左右に裂けたのだ。

まっぷたつに割れ、ズルズルと凌羽の背中がでてくる。


「ぎィィィやあああああああッッッ!」


山端が叫ぶ。

痛みはあいかわらず感じないが、それよりも、恐怖があった。

そして。

ついに。

凌羽の全身が出現する。

おどろき、よろけて、あおむけにたおれる山端。

腹部には、ドーナツのような穴が開いていた。

その中央に、凌羽が立っている。

天を突くようにかかげたその左手は、まだゲンコツのままだ。


「な……、なぜ……だ……」


おきあがれないほどの急激な疲労感に襲われた山端は、意識がまだらになりながらも、凌羽の背中に問いただす。

そんな山端にむけ、ゆっくりふりかえると、左手をひろげて見せた。


「ぅ、お、おおぉ……!」


山端が驚嘆する。


マガタマだ。

凌羽の手のひらに、さっき自分が飲みこんだマガタマがにぎられていたのだ。

あのとき。

山端の背中から突きでた無数の刃によって、上半身を貫かれたあのとき。

黒い凌羽は、命の危機を感じた。

生命力のほとんどを所持している自分が落命すれば、運命共同体であるもうひとりの凌羽も無事ではすまないからだ。

だから一度、姿をかくした。

根の国に、体をかくしたのだ。

そうして瀕死状態の黒い凌羽と、根の国にいたもうひとりの凌羽とが入れかわった。

入れかわったそのポイント。

そこは。

山端の。

腹の中――。


胃袋の中のマガタマが狙いだった。

それさえ奪えれば、一気に山端の弱体化できるからだ。

目的は達成された。

勝利を確信していた無警戒な山端の胃袋から、マガタマを摘出できたのだ。


「危なかったですよ、山端さん。もうすこしで命を落とすところでしたね」


凌羽の口調は、おだやかなものにもどっていた。

見あげる凌羽のまなこに、銀色の光を確認できない。

すでに臨戦態勢を解除しているようだ。


ああ。

ああ、そうか。

コイツは、こんな状況でもオレの命を救うために――。


はじめから勝敗にこだわってなどいなかったのだ。

あくまで凌羽は、自分の役目を果たすために戦っていたのか。

イザナミに踊らされ、千人殺シの片棒をかつぎ、神威に溺れ、欲望をおさえられなかったオレとはちがった。


ふふん。

ガキのくせに。

まったく。


凌羽の理性と意志の強さをたたえるように笑みを浮かべ、山端は気を失った。

動かなくなった山端を見おろしながら、凌羽はこわばっていた表情を緩和させ、長い息を吐く。

終わった。

やっと決着がついた。


「だいじょうぶ? 凌羽」


心配しながら、奈々未が近づいてくる。


「……ええ。なんとか」


返事をしながら、力なく笑う。

奈々未も凌羽が無事だとわかって安堵の表情を浮かべる。


「けっこうな能力者だったよね、このおじさん」


ふたりのかたわらに、あおむけにたおれた山端がいる。

無警戒に両手両足を開き、いびきをかいたまま深い眠りに落ちている。

おそらくは深刻なほどの疲労感でいっぱいなのだろう。

凌羽がでてきた山端の腹部は、すでに閉じている。


「もし、能力の覚醒が今日じゃなく、何日も前だったとしたら――」


「――どうなっていたでしょうか」


慣らし運転をすませ、神威をフル稼働させたまま、あっというまに凌羽と奈々未を叩きのめしただろう。

さらには死界をでて、ふたりの住む世界にいき、粛々とイザナミの呪いを代行したはずだ。


「ゾッとするね……」


奈々未がきゃしゃな肩をすくめる。


「ええ」


ふたりのようすを観察していた特事のスタッフたちがトンネル内に入ってきた。

つづいて、数台のセダンが到着し、何人もの男たちが降車してくる。

戦闘の事後処理をおこなうためである。

トンネル内は黒いスーツを着た男たちでごったがえした。

ある者は同僚の遺体をはこびだし、ある者はいまだに黒煙をあげている車の残骸にむけて消火剤をまいていた。

気絶したままの山端も、まもなく担架に乗せられていった。

それをきっかけに奈々未の顔から緊張が消えた。

凌羽はそんな奈々未に、


「あ。そうそう。これ」


おもむろに左手をだした。


「ん?」


奈々未が反射的に右手をさしだす。

その手のひらに、ぬらぬらと光る物体が置かれた。


マガタマだ。

山端の胃袋からとりだしたマガタマだった。

アメーバーのような大量の水気は、胃液であろう。

その液体が、奈々未の手のひらにちいさな水たまりをつくった。


「びぃぃぃえええええええええッ!」


おもわず悲鳴をあげる。

生理的に拒絶するほど、気色の悪い感触だった。

全身に鳥肌がたつ。

一瞬でも手にあることが耐えられない。

そして、そんなものをなにもいわずに自分に手渡した凌羽にも怒りが湧く。


奈々未の瞳に、ぼ、っと銀色の光が宿る。

つぎの瞬間、殺意のこもった奈々未のビンタが、凌羽の顔面を襲った。

手のひらにマガタマを乗せたままの掌底がヒットする。

音速をはるかに越えた一撃に、凌羽の下アゴがはずれた。


「むうぅぅ~んん……」


うめき声をあげながら、凌羽はバタリとたおれる。

意識が刈りとられ、残りわずかだった体力も失くなった。


「――あ。やば!」


卒倒した凌羽を見て、奈々未が我にかえる。


「ちょ、ちょっとすいませーんッ! こっちにも担架、お願いしまーすッ!」


奈々未は凌羽のジャージズボンで手についた胃液をふきながら、特事のスタッフを呼んだ。

凌羽は泡をふいて痙攣し、白目をむいている。


必死のおもいで山端から奪ったマガタマは、奈々未の手から落ちてころころと転がっていく。

そしてトンネルのすみまでたどりついて止まると、そこでなにごともなかったかのように、あわい光をはなっていた。



〈了〉





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