ギュキイィ、ギュキキイィィ、という耳ざわりな音で気がついた。
目の前すべてが灰色だった。
空も、地面も、すべて灰色だった。
ここはどこだろう……?
見まわしながらそうおもった。
同時に、自分の両手両足が縛られているとわかった。
浴衣のような白い着物姿で車イスに乗せられている。
古びた車イス。
ところどころ汚れやサビ、キズがある。
車輪のゆがみのせいか、乗り心地が悪い。
ギュキイィ、ギュキイィィ、という音は、左右のタイヤがまわるたびに聞こえている。
そんな車イスに、オレはくくりつけられていた。
なぜなのかはわからない。
さっぱりわからない。
ただ灰色の空間を、前に前に進んでいく。
うしろで車イスを押す誰かに聞こうとおもったが、声がでない。
しぼりだしても、はりあげても、声帯はオレのおもいに応えてくれない。
体をひねり、その人物と意思の疎通をはかろうとしても、四肢を固定されているためうまくふりかえることができない。
それで、背もたれにのけぞって顔を見あげようとした。
だがうしろでグリップをにぎっている人物は、おなじタイミングで顔をそむけた。
そのせいで黒いフードつきのローブのようなものを着ていること以外、なにもわからなかった。
やがて進むさきに黒い穴が見えてきた。
大きな穴が見えてきた。
車イスはあきらかにそちらにむかっている。
あの穴はなんだ?
まさかオレは、あの穴に落とされるのではないか?
背後の人物に聞いてみたい。
問いただしたい。
だが、やはり声はでない。
たまらなく不安になってきた。
おぞけが心を支配しはじめる。
冷や汗がドクドクあふれる。
全身がガタガタ震えた。
そのとき、左うしろから、ギュキイィ、ギュキキイィ、という音が聞こえてきた。
顔をむけると、もう一台、車イスがあらわれた。
座っているのは男だった。
やはり浴衣のような白い着物を身にまとっている。
その人物はぐったりとしていて、背もたれに身をあずけている。
白目をむき、半開きの口からはメレンゲのような白い泡があふれていた。
意識がないのだろう。
きっとさっきまでのオレもあんな感じだったはずだ。
そして男の着物の合わせが、左前になっているのに気づいた。
死に装束だ。
死んだ人間の着物の合わせかただ。
その姿を見て、なんだかイヤな予感がした。
すぐに自分が身にまとっている着物を見る。
左前で、着物を身につけていた。
う、うそだろッ……!
なんで……?
もう一度、横の男に視線をむけた。
そのとき、ぐったりしている男の顔を見てわかった。
トモアキだ。
いつもつるんでいる友人だ。
まさか、死んでるのか?
おいッ!
おい、トモアキッ!
必死に呼びかけた。
だがやはり、声がでない。
しばらくは並走をつづけていたトモアキの車イスだが、すこしずつ先へ進んでいった。
オレの乗っている車イスの車輪がゆがんでいるせいで差がでてきたのだろうか。
やがて、トモアキの車イスを押す人物の背中が視界に入る。
オレのうしろにいるヤツとおなじように、フードのついた黒いローブをまとっていた。
その人物の黒いうしろ姿しか見えなくなり、トモアキの安否が完全にわからなくなった。
それとほぼ同時に、今度は右後方から、キュキイィ、キュキキイィ、という音が聞こえてきた。
まただ。
また車イスがきたんだ。
そうおもってすぐに顔をむける。
右からきた車イスには女が乗っていた。
やはり白い着物を身につけ、両手両足を縛りつけられている。
意識があるようで、全身を動かし、なんとか自由になろうともがいている。
その横顔で、友人のアヤカだとわかった。
アヤカッ!
おい、アヤカッ!
声はでないが叫んでみる。
と、こちらの気迫がとどいたのか、アヤカがこちらを見た。
いや、単純にオレの姿が視界にはいっただけかもしれない。
どちらにせよ、アヤカはすぐに、ノボルッ! とオレの名前を口にした。
つづけて、ノボル、たすけてッ! ともいった。
いや、いったとおもう。
アヤカもやはり、声がだせないようだ。
そのあとも口をパクパク動かし、号泣しながらなにかいっている。
だが。
残念ながらわからない。
わからないが、たすけてほしいと懇願されているのは伝わってくる。
ここはどこ?
これはなんなの?
そういう問いかけもしてきているようだ。
オレは首をふり、涙をうかべた。
わからないからだ。
ないひとつわからないからだ。
あッ!
そ、そうだッ!
アヤカにいわなければならないことがある。
ほら。
前。
前にいる車イス。
そう知らせたくてアゴをしゃくって、むこうを見ろとうながす。
アヤカは前方を見てから、なに? と口をゆっくり動かして返事をした。
オレもおなじように、ゆっくりと、ト・モ・ア・キ、と口を動かす。
すぐに伝わったようで、
ト・モ・ア・キ……?
アヤカが口の動きをまねた。
オレはうなずく。
あれはトモアキだ。
おまえの恋人のトモアキだよ、となんどもうなずいた。
アヤカは目と口をおおきくひろげ、おどろいた表情をした。
そして、トモアキッ! トモアキッ! と呼びかけた。
もちろん、声はでない。
でないが、呼びかける。
ボロボロと涙をこぼしながら、彼の名前を連呼している。
そんなトモアキの乗る車イスは穴にちかづく。
大きな穴にちかづく。
オレもアヤカも、なにがおきるのか予想がついた。
やめろッ!
叫んだ。
やめてくれッ!
トモアキの車イスを押すローブの人物にむかって叫んだ。
だが聞き入れられることはなかった。
ローブの人物は、車イスを穴の中に落としたのだ。
トモアキを車イスごと、躊躇なく穴の中に突き落としたのだ。
粗大ゴミでもあつかうように、雑に落としたのだ。
あ……。
あああ……。
全身から力が抜ける。
すると、トモアキの車イスを捨てたローブの人物がゆっくりふりかえった。
その顔。
その顔が。
トモアキだった。
穴の前に立つ、ローブを着ている人物が、トモアキだったのだ。
ど、どうして……?
かんがえがまとまらず呆然としているオレを見て、トモアキが笑った。
フードの中からニヤニヤといやらしく笑った。
オレはどういうことなのかとアヤカを見る。
だが、アヤカもおどろきの表情をうかべながらオレを見ていた。
なにがどうなっているのかさっぱりわからない。
だまされているのか。
はめられているのか。
だとしたら、はやく種あかしをしてくれ。
オレとアヤカを車イスから解放してくれ。
懇願するように見つめるオレに対し、トモアキが首をふった。
瞬間、アヤカの乗る車イスがスピードをあげた。
一気にあの穴に向かっていく。
アヤカがあばれる。
手足を縛られたまま、いやだいやだ、と全身でアピールする。
だがその抵抗は意味がなかった。
アヤカも、あっというまに穴に放りこまれた。
車イスごと落ちていったのだ。
う、うそだろッ。
アヤカまでッ。
つぎは自分の番だとわかる。
あとの展開を確信したオレにむかって、アヤカの車イスを押していた人物がふりかえった。
そして、フードをかきあげ顔を見せる。
アヤカだった。
ニタニタと笑う、アヤカだったのだ。
な……ッ!
ア、アヤカッ!
アヤカじゃないかッ!
アヤカの車イスを穴に落とした人物が、アヤカだった。
トモアキの車イスを穴に落としたのも、トモアキだった。
なんだ?
どういうことだ?
ああ、そうか。
やっぱりそうか。
ふたりしてオレをおどろかせているんだな。
たぶんどこかにカメラがあって、撮影でもしてるんだろ?
あとからオレを笑いものにするつもりなんだろ?
意地悪そうな顔でニヤついているふたりに、なんどもうなずき、
わかったわかった。
もういいから。
そろそろ終わりにしよう。
と意思表示してみせた。
だが、車イスは止まらない。
キュキイィ、キュキキイィ、と音を鳴らし、穴に向かって進んでいく。
お、おいッ。
ふたりとも、ちょっとやめろよッ。
だが、あわてふためくオレをながめてあいかわらずニヤついている。
お、おいッ!
おいってばッ!
うしろでグリップをにぎる人物にアピールしようと、のけぞってみる。
すると今度は顔をそらさなかった。
そらさずに、こちらをジッと見おろした。
オレ。
オレだった。
オレの顔が、フードの中から笑っていた。
な、なんだよッ!
どういうことだよッ!
混乱はピークに達する。
だが容赦なく、車イスは穴に近づく。
どんどんどんどん穴に近づく。
お、落ちるッ!
落ちちゃうよッ!
オレの足が真っ暗な空間の上にきた。
あとひと押し。
もうひと押しで、車イスは穴に落ちる。
穴の淵に立つトモアキを見る。
アヤカを見る。
ふたりとも、ゲラゲラゲラゲラ笑っていた。
腹をかかえ、大声をあげて笑っていた。
その笑い声が聞こえる。
ついに車イスが前方にかたむいた。
――お、落ちるッ!
ぎゅっと目をつぶった瞬間、
「――やめてッ!」
と聞こえた。
「おねがいだから、もうやめてッ!」
つづけて聞こえた。
だ、誰だ?
誰の声だ?
男の声なのか女の声なのかもわからない。
たすけてッ!
たすけてくださいッ!
オレはその声の主に強くうったえた。
だが返事はなかった。
同時に、バキャッ、と音がして車イスが停止する。
つづけて、ふたつの車輪がハの字になってひしゃげた。
さらにシートがやぶれ、オレはそのまま尻もちをつく。
手足を縛っていたロープもボロボロになってちぎれた。
車イスに、急激な老朽化がおきたようなかんじだ。
ニセモノのトモアキとアヤカは、うなだれて静止している。
まるで糸の切れたあやつり人形のようだった。
オレは大きな穴の目の前で自由を取りもどし、あわててはいつくばって逃げた。
瀕死の虫ケラのように、手足をばたつかせて灰色の大地を逃げた。
どれくらい進んだのか。
背後でなんの音もしないことに気づいた。
トモアキもアヤカも追いかけてきていないのか、とおそるおそるふり返る。
すると闇しかなかった。
さっきまで広がっていた灰色の空間はなく、ただただ真っ暗な闇があった。
大きな穴も、壊れた車イスもない。
誰もいない。
今までのことはなんだったのか。
夢か。
幻か。
真っ暗な世界にとり残されてひとりとまどっていると、やがてスイッチでも切れるように、意識のすべてが消えてなくなった。
※
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