結界病棟  第3話  『円了真悟』



御茶ノ水駅で降り、聖橋を渡った先に黄天堂大学病院はある。

ほとんどの国民が知っているほど日本屈指の大病院なのはいうまでもない。

そのため、紹介状をもった患者たちが日本中からはるばる受診にくる。

VIP用の個室もあり、会社重役や著名人はもちろんのこと、政治家もお忍びで来院する。

外国の富豪や王族たちだって自家用ジェットでやってくるほどだ。

ミチルも当然、知っている。

ニュースなどでよく耳にする。

となりにいる男は、その黄天堂大学病院の医師だという。


名前は、円了真悟。

今、その男の車でその病院にむかっている。


「お名前、福原ミチルさんでしたね? 今回のこと、いつから計画してたんですか?」


ハンドルをにぎり、前を向いたままで円了がたずねる。


「計画なんてしてません。ただ、今朝になって急におもいたって……」


助手席のミチルは肩をすぼめ、うつむいたまま答える。


「自分を終わらせようとしたきっかけはあるんですか?」


しずかなトーンで聞いてくる。

そういわれても、おもいあたらない。

これといった悩みも、不満もないからだ。

首をかしげことばに迷いながら、ヒザの上に置いた通勤カバンをじっとながめている。

そんなミチルに、


「日常的なふつうのことじゃなく……、おかしなこと、なかったですか?」


と、もう一度円了が水をむけてきた。


「え……?」


「さきほどもいいましたが、ミチルさんは呪われてます」


「あ……。そうでした……。わたし、呪われていたんだ……」


おもいだしたようにいった。

どうしてすっかりわすれていたんだろう。

ついさっきまで、あんなにも、死ね死ね死ね、とささやかれていたのに。

どうして……。

青い顔でブルっとふるえた。


「だいじょうぶ。あせらなくていいんですよ。ゆっくりおもいだしてみてください」


円了がやさしくほほえむ。

単純なことだが、それでとても安心した。

それで、


「じつは十日ほど前から死ね死ねって声が聞こえるようになって――」


と、謎の声について説明した。


「なぜその声が聞こえるようになっのか、心当たりはありますか?」


つぎの質問をしてきた。

だがおもい当たらない。

というより、かんがえがまとまらないのだ。

寝不足のときのように、脳がうまく働かない。

みけんにシワを集め、ミチルが記憶をしぼりだそうとしていると、


「そういう症状も、呪われているとよくあることなんですよ」


円了がいった。


「え」


「呪いは、相手を死にみちびくものです。ですが、かんがえるということは、現状に抵抗するためにあらたな道を探す行為です」


「はぁ……」


円了のいうことがよくわからない。


「つまり、かんがえるということ、悩むということ……。それはぜんぶ、今の自分を変えたいという向上心からきているんです。向上心があるからこそ、あたらしい悩みが生まれるんです」


そういわれればそんな気がする。


「悩んだりかんがえこんだりすることをネガティブにとらえる風潮もありますが、それはまったく逆で、悩まなければあらたな道は開かれない」


「……ええ。それで、あの、そのことと、呪いと、どう関係するんですか……?」


ミチルがたずねる。

すると、


「ミチルさん、悩みましたか?」


みじかくいった。


「きっと、その不気味な声が聞こえはじめたときはいったいなんなのだろう、とかんがえたはずです」


そのとおり。

正体不明で、こわくてこわくてしかたなかった。


「でも、いつしかそれが当たり前の声になってしまった」


「……はい。たしかに……」


「それがもう、あなたが悩むことも、かんがえることもやめてしまった証拠です……。つまり、自分を終わらせることをずっと、無抵抗のまま受け入れていたんです」


そう結論づけられてハッとする。


「そうやって心をマヒさせ、感情を奪い、正常な思考を消滅させ、最終的に死を選ばせる……。それが呪いなんです。……だから今、あなたの頭が正常に働かず、記憶が整理できないのはしかたがないことなんですよ」


そうか。

それで今、ことばがまとまらないんだ。

ミチルが納得していると、目の前に黄天堂大学病院が見えてきた。

おなじような建物がいくつかならんでいる。

おそらくこれがすべて、黄天堂の病棟なのだろうと予想する。

その規模から、そうとうな数の入院患者を受け入れられるのだろう。

やがて車は敷地内に入り、職員用の駐車場に停車する。

ミチルを降車させた円了が、


「さ、どうぞ」


といって先を歩く。

進行方向にある建物に、金属製の扉が見えてきた。

その前にはふたりの警備員が立っている。

円了は彼らに社員証を見せる。

すると警備員のひとりがドアの横にある操作パネルを押し、受話器で内部の誰かとやりとりをしはじめる。

ややあってドアが開き、


「どうぞ」


と円了に告げた。

そのやりとりを見ていて、なんだか緊張していると、


「さ、いきましょう」


円了が笑顔でうながした。

ドアのむこうには真っ白い通路といくつもの部屋が見えた。

建物の内部は広いが、自分たち以外、誰もいなかった。

しんと静まりかえっている。

ミチルはすこし不安になって、肩にかけた通勤カバンのストラップをぎゅっとにぎる。

そんなミチルの心情に気づいたのか、


「この棟は一般病棟とはちがうので、完全予約制なんですよ。だからほかの患者さんとは会わないようになっているんです」


円了がにこやかにいった。

なるほど、とミチルがうなずく。

しばらく通路を歩いていると、むこうから女性のスタッフがふたりやってきた。

そのふたりに、


「このかたの精密検査をお願いします。それが終わったら、ボクの診察室まで」


と指示をだす。

女性スタッフたちは、


「わかりました」


と返事をして、ミチルを検査室へ案内した。

検査はとどこおりなく済み、女性スタッフによって円了が待つ診察室にむかった。

ただ、そのあいだ、ほかの患者にはいっさい会わなかった。

まるで自分ひとりしかこの大きな病棟にいないようだ。

だがそんなはずはない。

日本中から患者がくる大病院だ。

誰もいないなんてことはありえない。

それで念のため、


「今日は病院、お休みなんですか? ほかの患者さん、誰もいないみたいですけど」


と女性スタッフにたずねてみる。

すると、


「ああ。ここは一般病棟とはちがうので、ほかの患者さんとは会わないんですよ」


円了とおなじ説明をした。


「特別な病棟ってことなんですか?」


つづけて質問した。

だが女性スタッフは返答せず、ドアの前で立ち止まると、


「こちらが円了先生の診察室です」


そういってノックした。

中から、


「どうぞ」


と声がする。


ドアを開けると、イスに座った白衣姿の円了が待っていた。







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