結界病棟  第6話  『結界病棟』



いわれてみればそのとおりだ。

呪いだの、呪障(じゅしょう)だの、ふつうの病院ででてくることばではない。

いままでの流れでここに座っているが、なぜ気づかなかったのだろう。


「もしかして、木の棒とかわたされませんでした?」


峰岸がたずねてくる。


「あ、はい。白くて、いいニオイの」


ミチルがうなずく。


「ああいうものは、ふつうのお医者さんはつかわないですよ」


「で、ですよね。にぎった瞬間、まっ黒に変わって……」


どういうカラクリだったのだろう。


「あれはなんとかっていう神社の裏にはえていた神木の枝らしいんです。悪いモノに影響されている人が触ると変色するので、呪障におかされているかどうかすぐにわかるんです」


リトマス試験紙のようなものだろうか。


「あ、あの、ここは黄天堂病院ですよね? どうしてこんなオカルトめいたことをしてるんですか?」


当然の疑問だ。

超有名病院でこんな診療をしているなんて誰もおもわない。


「これも医療の一環なんですよ」


「そ、そうなんですか……?」


「この世の中にはどんな検査をしても、どんな治療をしても、治らない病や不調というのはあるんです。そのうちの数パーセントは、呪いによるものなんです」


峰岸はうさんくさいことを、さも当然のようにさらりといった。


「もちろん、そんなことを信じない人は多いんです。だって、ほとんどが気のせいだから。でも、実際に呪いはあるんです」


たしかにこんな目にあわなければ、ミチルも一笑にふしていただろう。

聞く耳さえもたなかったはずだ。

いや、今だってまだ半信半疑だ。

こんな大病院で呪いについての話など聞くとはおもってもみなかったからだ。

だが峰岸はいたってまじめに話している。

冗談めかしているところなんて微塵もない。


「意外と患者さんは多くてね、完全予約制なんです。みなさん、なかなか診察を受けられないんですよ」


「じゃ、じゃあわたしは」


「運がよかったんです」


「え」


「先生ね、診察がないときはほとんどなくて。休日も月に数回。だから疲労がとれないらしくて。それで、すこしでも時間があくと森林浴にいくんですよ」


「そ、そうなんですか……」


「今朝は先生、午前中に時間がとれたんです。だからね、あなたがあの場所にいたことと、先生のわずかな休憩時間とがあわなかったら――」


「い、今ごろ……」


想像すると寒気がする。

時間やタイミングをわずかにたがえただけで、人の運命は好転も暗転もする。

ミチルはほんとうに運がよかったと胸をなでおろす。


「わたしもね、有名な大病院にこんな診察室があるなんて知らなかったんですよ」


峰岸がほほえむ。

その笑顔がミチルの心を安心させた。


「じゃあここは秘密の場所ってことなんですか……?」


室内を見まわしながらミチルがたずねる。


「秘密ってわけじゃないとおもうんですけど、ふつうの病棟じゃないし、ここで診察した人も、自分からは口にしないんじゃないですかね……。だって、呪われたとか、霊に取り憑かれたなんていっても、みんな変人あつかいしてくるだけだし……」


「たしかにそうですね……。わたしも、友だちとか彼氏もとりあってくれなかったですし……」


「そういう孤独感とかマイナス思考が、どんどん呪いへの抵抗力をうばっていくそうですよ。でもよかったですね、入院するほどひどくなくて」


峰岸がほほえむと、


「え? ここ、入院してる人もいるんですか?」


ミチルの興味をそそり、聞きかえした。


「ええ。ここは黄天堂の第五病棟なんですけど、通称、結界病棟って呼ばれてるんです」


「け、結界病棟……?」


なんだかぎょうぎょうしい呼び名だ。


「通常の病気やケガは第四病棟まで。そっちはね、ふつうの建物なんです」


「はぁ」


「でもこの第五はね、壁や床の中に御札なんかがたくさん入ってるんだそうですよ」


「そ、そうなんですか……!」


「わたしもくわしく知らないんですけど、外から入ってくる悪い気を完全にシャットアウトする目的があるからだって」


へぇ~、と感心するように室内を見まわすが、特別な感じは見あたらない。


「日本で一番有名な病院にこんなところがあるなんて、知ってる人はほとんどいないんですよ。ま、秘密がもれることもほとんどないですし」


「そうなんですか?」


「ええ。ここは保険証がきかないんで、すべて実費なんです。しかもかなりの高額になるので、当然おとずれる患者さんは限られます。診察や入院時には口外しないっていう契約書にサインをいただきますし、違反した場合、それなりの罰則金もあります。なによりすべて一括払いなので、そういう大金を支払えるかたはおかしな評判を嫌うものですからね」


「じゃあ、患者さんはお金もちばっかりってことですか……?」


「ええ。国内のVIPはもちろん、世界中からも相談者がおとずれるんですよ。政治家とか大会社の重役とか芸能人はつねに人の目にさらされますでしょ。ということは、知らないあいだに呪われていたりするんです」


「え。呪いって、そんなにふつうにあるものなんですか?」


「ええ。誰かを嫌ったり、ねたんだり、怨んだりしただけで、それは悪い念として相手に届きます。それも呪いの一種なんですよ」


なるほど。


「一般の生活をしている人ならば、それが健康に害をおよぼすことはまれですけど、有名人になれば、向かってくるマイナスの念はケタちがいです」


たしかにそうかもしれない。


「なのでみなさん、この結界病棟に入院して、心身のメンテナンスをしていくんです」


峰岸の説明に納得したミチルだが、気になるのは診察料だ。

サイフには一万三千円ほどしかない。

これで足りるだろうか。

それで、


「あの、看護師さん……。すごくいいづらいんですけど、診察料っておいくらぐらいするものなんですか……?」


気まずそうにたずねる。


「んー。そうですね……。初診料あわせて、三十万円ちょっとですね」


さッ!

さんじゅうまんえんッ!

そ、そんなにするの……ッ!


ミチルは絶句する。

驚愕の金額だった。

一か月分の給料より高い。

当然、現在の所持金ではぜんぜんたりない。


どうしよう。

ATMに行かなきゃ。

残高、どれくらいあったかな。

カードは使えるのかな。


支払いのことで頭がいっぱいになっていると、


「正規の患者さんの場合は――、ですけど」


峰岸がいたずらっぽくほほえむ。

いわれた意味がわからず、


「正規の患者……?」


聞きなおす。


「ええ。カルテを作った段階で、正規の患者さんなんですけどね」


いいながらクリップボードをこちらに見せてくる。

そこにはミチルの検査結果や問診などの情報が書かれている。

だが、書かれている紙がただのルーズリーフであった。

そこにボールペンでたくさんメモ書きしているだけだった。


「こ、これって……?」


「うん。つまりミチルさんはね、患者さんじゃないってことです」


「え」


「本当のカルテを作って、患者として登録したら、診察以外にもいろんな検査もしましたから、ものすごい金額になっちゃうでしょ。だから今回、先生は個人的に相談にのっているだけなんです」


じゃ、じゃあまさか、無料ってこと……?

ぜんぶ、タダってこと……?


あわい期待が芽ばえる。


「呪障は貧富に関係なく襲ってくるものですけど、黄天堂の料金設定では限られた人しか診療を受けられないのが現実なんです」


たしかに一般庶民にとって、三十万円は相当な金額である。

しかも入院することになれば、総額はかなりのものになるだろう。


「でも先生の理想は、すべてに人が平等な治療を受けられるようになることなんです。だから今回のように、個人的な相談を受けているんですよ」


やさしげにほほえむ。


「円了先生はすごく偉いかたなんですか?」


「そうですね、偉いというか、この手の専門医は世界でもすくないので、この結界病棟をまかされているひとりなんです。なので、采配はかなり自由にできるみたいなんです」


なるほど、とうなずく。


「先生ね、すこし変わってるけど、ほんとはすごい人なんですよ」


そのひとことには、あこがれも、尊敬も込められているようだった。

そのタイミングで、


「あのぉ、峰岸さん……。すこし変わってる、は余計かとおもいますけど」


そういいながら円了がもどってきた。


「あッ、先生ッ」


峰岸が気まずそうに口をおさえる。

円了がドアを開けるときに、会話の一部を聞かれたのだろう。


「ちょ、ちょうど今、料金の話をしてまして」


峰岸がごまかすようにいった。

すると、


「あ、そうでしたね。料金はいらないからってこと、いい忘れてました」


おもいだして照れ笑いをうかべる。

円了にもそういわれ、ミチルは安心した。

金銭のことをかんがえなくてよくなっただけでもホッとする。

だが、円了から温和な表情がなくなり、


「じつは今、あのクマのぬいぐるみを解剖してきたんです」


とミチルを見ながらいった。


「その結果、かなり危険なものであると判断しましたので、相応の処置をして管理させていただくことにしました」


そういえば、円了がもどってきたとき、クマの入った透明なケース持っていなかった。


「よろしいですよね……?」


そう聞かれてもどう返事をしていいのかわからないので、


「はい……」


と、うなずくのみだった。


「さきほどもいいましたが、ひとりかくれんぼをしても、ふつうはなにも起きません。気のせいですむ話ばかりです。ですが、今回のことは異常なんです」


あらてめていわれると、かなりショックだ。


「それできっと、通常よりも強い念がこめられているのだろうとクマの中を確認してみたんです。その結果――」


ミチルがゴクッとツバを飲む。


「――心臓が入ってました」


円了が、おそろしいことをいった。





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