結界病棟  第36話  『仁志潟敏夫』



敏夫は円了の両目から、ズルズルと指を引きぬきながら、


「さぁ、先生。これでわれわれの事情もわかったでしょう……?」


とほほえみながら話しかけてくる。

指先には血液や粘液のようなものがからみ、ドロリと長い糸をひいている。

眼球と脳をグチャグチャいじられたダメージはあまりに大きかった。

そのため円了の意識は混濁していて、震えながらちいさくうなずくのがせいいっぱいだった。


「うぅーん、よくない……。よくないなぁ……。年上の人間が話しかけてるのに返事もせず、そんな態度をとったら――ッ!」


そこまでいって、すかさず円了の顔面に平手打ちをした。

びたーんッ! 

という音が、なにもない灰色の空間にひびきわたる。

衝撃で、円了の意識が一気にもどった。


「やめてッ! 先生をたたかないでッ!」


カズミが叫ぶ。

だが背後から兄につかみあげられ、身動きがとれない。


「ちょっと、あなたぁ~。その先生は返事をしないんじゃなくて、この世界にいるせいで、しゃべれないんですよぉ」


妻のひとみが半笑いでいった。


「ああ。ああ、そうだったな。うっかりしてたよ。すまないね、先生」


いいながら敏夫は、円了の両肩をポンポンとたたく。


「さぁ、これでしゃべれるはずだよ」


催眠術でも解くようなものだろうか。

声をだすことができるようになった円了は、


「あ……、あなたがたは、おかしい……ッ! ふつうじゃない……ッ!」


責めるようにいった。

が、


「ふふんッ!」


と、すぐに敏夫が鼻で笑い飛ばす。


「おかしい? ふつうじゃない? なにがですか? なにとくらべてですか? 社会通念? 常識? 法律? ……だけどねぇ、そんなものはわたしたちが決めたものではないでしょう? どこかの誰かがかってに決めたことだ」


持論を展開する。


「それはつまり、わたしの作った世界ではない。わたしの生きたい人生でもない。わたしはわたしの描いた絵図の中で生きていく。だから、世間の目を意識して、自分たちのしあわせを捨てるなんてことはできない。そのために、たとえ誰かを殺すことになってもね」


いいながら、クスクス笑った。

常識のズレている人間といくら話しても、軋轢しか生まれない。

相手は自分のゆがんだ価値観をおしつけ、ねじふせようとしてくるからだ。


「あ、あなたがたは、ほんとうに転魂法なんてものを信じてるんですか……?」


荒い呼吸で問いかける。


「仕事がら、ボクは数多くの文献を読んできました。日本のみならず、各国の呪法についてもです」


「ふむ。それは勉強熱心だ」


敏夫が茶化す。


「し、しかし、転魂法なんてもの、一度も聞いたことはない」


上目づかいで円了が見あげる。


「ふはははは。先生、おもしろいね、きみは」


敏夫が笑う。


「いいかい? この世の中には未知なるものはいくらでもある。歴史の陰にうもれているものもいくらでもある。だからね、自分が知らないからといって存在しないというのは、無知蒙昧であることを白状しているようなものなんだよ」


ふたたびあざけるように笑った。


「たしかにそうかもしれない……。でも、その秘術が確実だという証拠もないじゃないですか」


 水かけ論になるのはわかっているが、いわずにはいられなかった。


「もうひとつ、疑問があります」


円了がいうと、もともと討論好きなのか、


「なんだい?」


敏夫が興味深そうに目を見開く。


「今、あなたがたはトモアキくんとアヤカさんに憑依している状態ですよね……?」


「ああ。わたしたち家族の魂は、甘沖といっしょに作った結界の中に閉じこめられたままだったからねぇ。しかし彼らには感謝しているんだよ。あんな場所でコックリさんをやってくれたんだから。彼らは一種のトランス状態になったからね、体を乗っ取るのはかんたんだった。なぁ、ひとみ?」


敏夫がふりかえって同意をもとめると、


「ほんとよねぇ。こんなに若い体を自由にできたんだから」


アヤカを乗っ取った、妻のひとみがほほえむ。


「ぼ、ぼくが知りたいのはそこです」


「ん?」


「誰かに憑依することをくり返せば、それは転魂法とおなじことなのではないですか? だとしたら、わざわざ人の命を生け贄にしなくてもよかったのではないですか?」


まっとうなことをいったとおもったが、仁志潟夫婦はアハハと笑って、


「あさはかだな」


 円了をバカにする。


「いいかい。ひとことでいえば、それは賃貸物件と分譲物件みたいなちがいがあるんだよ」


敏夫がいうと、


「え……? ちょっとぉ。ちがいますよぉ、あなた。ひとりぐらしと、共同生活のちがいです」


妻が笑った。

すると敏夫はしばしかんがえこんで、


「あ! そうかそうか。たとえまちがいだったな」


と大笑いした。


「つまり、今はこの青年の体に憑依しているから、とうぜんこの中にはわたしの魂のほかに、トモアキくんの魂もはいっている。これが妻のいうところの、共同生活だよ。わかるね?」


円了がうなずく。


「だがね、転魂法は完全にその体を自分のものにできるから、妻はひとりぐらしと表現したんだ」


「ぼくは憑依されたことはないんですが、そんなに居心地が悪いものなんですか?」


興味もあってたずねると、


「当然さ。このごろはわたしがこの体の主導権をにぎっているが、はじめのころは抵抗してね」


「めんどうだったわよね。おとなしく体を渡せばよかったのに」


「だからね、おさえこむのに数日かかってしまったんだ。そのせいでノボルという青年をあんたの病院――、結界病棟の中に逃がしてしまった」


「ノボルくん以外の人物ではダメだったんですか?」


「べつにかまわなかったがね、ノボルくんは国会議員の息子だろう? しかもかなりの資産家らしい」


「わたしの体のアヤカも、お父さんの体のトモアキも、それなりに上流家庭だからね、逃がすにはおしいでしょう? 転魂法をする前に、アヤカ本人のふりをして家の財産をしぼれるだけしぼりとらなきゃね」


「よく子供の魂は親を選んでから生まれてくる、とかいう霊能者がいるが……あんなのはウソだ。どうしてわざわざ貧乏な家に生まれたいとおもう? 暴力をふるうような親のもとに生まれたいとおもう? 毎日なぐられ、あげくのはては殺されてしまうことだってある。そんな親のもとに生まれたいはずがないだろう? みんな金もちの家に生まれたいはずだ。そうだろう?」


異論はない。


「しかしね、転魂法はちがう。自分がなりたい誰かと体を入れかえることができるのだ。そうして定期的にあたらしい体を手に入れていけば、それは永遠の命を得たのとおなじことなんだよ! すばらしいだろう? さらには、わらしべ長者のようにどんどん高いレベルの人間を選んでいけば、果ては世界を牛耳ることもできるかもしれないんだ!」


少年のように目を輝かせる。


「これはね、解脱(げだつ)とおなじだよッ! 生きながらにして解脱をおこなうことなんだよッ!」


大げさに両手をあげ、高らかにいった。

解脱とは、生や死、生まれ変わりなど、いっさいの煩悩や苦悩から解き放たれた状態であり、仏教最大の目的であるともされる。


「転魂法があれば、煩悩や欲望をもちあわせていても関係ない。きびしい修行もいらない。生け贄をささげれば、魔縁の者がそれを可能にしてくれるのだ。すばらしいだろう?」


敏夫の口もとがゆるんだ。


「でもぉ、ノボルって子がいなくなったこと、結果的にはよかったわよねぇ」


ねっとりした口調のひとみが敏夫を見る。


「まあ、そうだな。入院している愛娘のカズミにも会えたからな。これはまさに運命のみちびきだよ。これでまた、一家団欒ができるんだからな」


敏夫がアハハと笑った。

ひとみもウフフと笑った。

なんの呵責も感じていないふたりに、


「で、では今後も、転魂法で体を乗りかえるたびに、人の命を生け贄にするつもりなんですか?」


責めるような口調で円了が問う。

すると、メトロノームのようにひとさし指をふりながら、


「いやいやいや。そんな野蛮なことは最初だけでいいんだよ」


敏夫がいった。


「一度魔縁の者たちに許されれば、二度目からは自分の心臓から抽出した血液を相手に飲ませればいいんだ。かんたんだろう?」


とほほえんだ。

カズミは円了と敏夫のやりとりを聞きながら、なんとか円了の乗る車イス奪ってここから遠ざかりたいとかんがえている。

だが、粘土細工の顔をした兄の幸一が腕を強くつかんでいて、それを不可能にさせていた。

そのとき、


「ねぇ、父さん。さっきからいっている転魂法って、なんのこと? オレはなにもおしえてもらってないんだけど」


幸一が敏夫の背中に声をかけた。

すると敏夫とひとみが、


「え?」
「え?」


と同時にふり向く。


「……あら、あなた。幸一に転魂法のこと聞かせてなかったの?」


ひとみがいう。


「あれ? おまえがおしえてやったんじゃないのか?」


敏夫がおどろいて聞きかえす。

どうやら意思の疎通に不備があったようで、転魂法にいたる経緯を長男に伝えていなかったようだ。


「オレはなんも聞いてないよ。毒の入った生き血を飲まされたことも。妹のカズミを殺そうとしたことも、なにも聞いてない。なんであのとき死んだのかも聞かされていないんだから。ただ、もう一度生きなおすために、大学生たちの体を借りるだけだとおもっていた」


怒りをふくんで、声のトーンが低くなる。


「ことばをまちがえるな幸一。カズミを殺そうとしたんじゃない。あれはあくまで転魂法の前準備だったんだ」


敏夫がたしなめる。


「そうよぅ。あれはわたしたちをおどろかせようとしたお父さんのイタズラ心だったの。サプライズってやつよ。まぁ、カズミのせいで計画は狂ってしまったけどね。家族全員の未来のことをかんがえてくれていたのよ? わかるでしょ?」


母はあくまで、父の味方だった。

カズミにはそれがなんだか悲しかった。

さみしくも感じた。

そして、ふたりとも狂っているのだと再確認できた。


「そんなのおかしいよ。おかしいだろ?」


興奮気味に幸一がいった。


「親の勝手で生みだされて、親の勝手で殺されてさ、……オレたちはいったいなんなの? 父さんと母さんの実験道具なの……?」


粘土細工のような顔に涙がつたう。

兄の心情が伝染し、カズミも涙ぐむ。


「オレはいつか、父さんのあとを継いで医者になるんだとおもってた。でも勉強はむずかしいから、きっと大変だろうなって覚悟もしてたよ。父さんの部屋で医学書を見たときもチンプンカンプンだったからね。……そのぶん、父さんはすごい人なんだなって、すごい頭がいい人なんだなって尊敬してたんだ」


敏夫はだまって聞いている。


「でもね、いつだったか、父さんが患者をだましていることを知ったんだ。ウソの診断をしているって知ったんだ」


「なにをバカな――」


「――聞いたんだ。甘沖のおじさんと話をしているのを。そうしてはじめから、信者を増やす計画だったんだろ?」


敏夫は、幸一のことばに反論できない。

カズミは、やはり兄も知ってたんだ、とおもった。


「そのあと医者をやめて宗教家になって――」


「――それのなにが悪いのよ? お父さんだっていろいろかんがえてのことよ!」


母のひとみが割って入る。


「でも、オレも! カズミも! 針のむしろだったッ! 学校でも無視されて、近所の人も白い目で見てきてさ、友だちはいなくなった! ひとりもいなくなったよッ!」


カズミはいつのまにか、兄の背中に手をあてていた。

幸一の悲しい記憶によりそいたいからだ。

だが、


「バカだな、幸一」


敏夫が一笑にふした。


「宗教家というものは、どんな時代も受け入れられないものなんだ。キリストだってそうだろう? だがね――」


「――詐欺師だろッ?」


「なにッ?」


「なんてこというの幸一ッ! お父さんにあやまりなさいッ!」


「いやだッ! 宗教家じゃなく、詐欺師じゃないかッ! 父さんを信じた人たちをだましていたじゃないかッ! それだけじゃない、人を殺したッ! 人殺しだッ!」


幸一が吠えた。

すぐさま敏夫がかけよる。

そして、いきなり顔面をなぐりつけた。

幸一が灰色の地面にたおれる。


「お、お兄ちゃんッ!」


カズミがさけぶ。


「だったらなんだッ? 宗教の名のもとに人を殺すのは正義だッ! 歴史上も、そんなことはいくらでもあったことだッ!」


息子の上に馬乗りになり、また顔面をなぐりつける。

赤鬼のような怒りの表情で、なんどもなんどもなぐりつける。

そのたびに、ぶよぶよとした幸一の顔が裂け、血液が飛び散る。

おかしな色の体液もふきだす。


「やめて、お父さんッ! もうやめてッ!」


カズミがすがりつく。

だがすぐに背後から母のひとみがかけより、カズミを引きはがす。


「いいのよ、止めなくてッ! これまで、あまやかしすぎたんだわッ! すこし痛い目にあったほうがいいのよッ!」


そういってケラケラ笑った。

兄はぐったりとしている。

父は興奮状態でなぐりつづけている。

カズミは尻もちをついたまま、むせび泣く。

狂った両親に。

壊れた家族に。

もどれない楽しい記憶に。

カズミは、ひぃひぃ、とむせび泣く。


そのときだった。

兄が息をふきかえしたように、いきなり敏夫にしがみついたのだ。

そうして動きを封じ、


「――今だ、カズミッ! 今だッ!」


こちらをむいて幸一が叫んだ。





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