ぐらぐらと、はげしく体をゆさぶられている。
なんどもなんどもゆさぶられている。
同時に、
「――先生ッ! 先生ッ! しっかりしてくださいッ!」
と大声で呼びかけられているのにも気づいた。
円了がぼんやりしたまま目を開けると、見知った顔がこちらをのぞきこんでいる。
「じ、事務局長……?」
つぶやくように問いかける。
「だ、だいじょうぶですか?」
そうたずねられながら、ここはどこだろうと周囲を見まわす。
「ここは廃墟の、地下室の中です」
事務局長がゆっくり、はっきりいった。
「は、廃墟……?」
おぼつかない口調で聞きかえす。
ゆっくり起きあがろうとする円了の背中をささえながら、
「そうです。茨城の、廃墟です」
肯定した。
どうしてここに?
いつのまに?
たしか、病院の駐車場でカズミちゃんの両親に出会って――。
そこまで記憶がよみがえり、
「――あッ! カ、カズミさんはッ? 峰岸一美さんはどうしましたッ?」
拉致された患者のことをおもいだす。
「だいじょうぶです。もう救急搬送されました」
そういわれ、安心した。
「それから、あのふたりも」
「あのふたり……?」
「ええ。ほら、行方不明になっていた田所ノボルの友人たちですよ。ふたりとも、ここにたおれてました」
「ああ……そうでしたか」
トモアキとアヤカのことか。
彼らは敏夫夫婦の霊から開放されたのだろうか。
そのことが気がかりだった。
「先生にも救急車を呼んでありますから、外にでましょう」
事務局長に肩をかり、体を押してもらって、なんとか地下室からはいでることができた。
円了は一階の床に座り込み、事務局長が階段をあがってくるのを待った。
そのとき、
「――あれッ。うわッ! おおぅ!」
あわてる声につづき、ガラガラと物音が聞こえた。
「ど、どうしました、事務局長?」
心配になって地下をのぞきこむと、
「いでででで」
腰をおさえて、うめいている事務局長が見えた。
「いやいや。急に立ちくらみして、尻もちついちゃいました」
よろよろと階段をあがってくる。
「先生たちがいなくなって、気が気じゃなくて。それでここまでドキドキしてきたんで、血圧あがっちゃったかもしれないです。いやはやめんぼくない」
照れ笑いをした。
「じゃあ局長もいっしょに診察受けましょう」
円了もほほえみながら提案し、
「でもほんとうに、みつけてくださってありがとうございました」
あらためて礼をいった。
「いえいえ。でもね、駐車場に先生の車が置きっぱなしでしたから、ここにいるのか半信半疑ではあったんですけどね」
あのとき、仁志潟夫婦に出会い、意識をうしなった。
おそらくそのあとでカズミ共々拉致されたのだろう。
あれからどれくらい時間が経ったのか。
灰色の空間にいたのは、とても長いもののように感じた。
そこでは仁志潟家の事情について、いろいろと知ることができた。
その膨大な記憶が流れ込んできたせいで、時間の間隔にズレや乱れがでたのかもしれない。
あるいは、幸一のインナースペースという特殊な場所だったから、そもそも時間の流れというものがなかったのかもしれない。
まるで夢でも見ていたかのようだ。
いや、夢と同等のものだった。
魂たちの見た夢――。
そうかんがえれば、納得できるし、また、するしかなかった。
そうこうしているうちに、救急隊員がストレッチャーをもってやってきてくれた。
そして円了とともに、事務局長も搬送されていった。
円了、峰岸一美、トモアキ、アヤカ、そして事務局長の五人全員が、茨城の廃墟から御茶ノ水の黄天堂大学病院まで搬送されていった。
検査の結果、峰岸一美には外傷もなく、とくに異常はなかった。
トモアキとアヤカにも、極度の疲労はあるものの、異常はなかった。
憑依されているようすもなく、仁志潟夫婦の魂は抜けたのだと診断された。
もとの病室にもどり、しずかに眠っている母のベッドの横で、娘の結衣はイスに腰かけていた。
手をにぎり、さすり、ほほにあて、
「お母さん……。お母さん……」
ちいさな声で呼びかける。
返事はない。
意識はもどっていないままだ。
でもいい。
それでもいい。
無事に帰ってきてくれたことだけでうれしいからだ。
生きていてくれただけでうれしいからだ。
そのとき、部屋の壁にかかったインターホンが鳴った。
誰だろう。
ナースセンターからかな。
おもいあたらず、受話器をとり耳にあてる。
すると、ザザザ、というノイズにまざって、
「あ……ぶな……」
と聞こえた。
「はい? なんですか? よく聞こえなくて」
もう一度いってほしいと結衣が要求すると、
「円……せん……あぶな……」
といった。
結衣は首をかしげながら、ことばのピースを組みあわせる。
そして、
円了先生があぶない、
という答えをみちびきだす。
「もしもしッ? 円了先生がどうしたんですかッ?」
確認するように聞きなおす。
「はや……結衣……、はや……く……」
そこでわかった。
母だ。
母の声だ。
「お母さんッ? お母さんなのッ? そうでしょッ? そうなんでしょッ?」
ベッドの母に視線を向け、問いかける。
だが返事はなく、受話器からは、ツーツーという無通話状態の音が聞こえるだけだった。
円了と事務局長はおなじ部屋で点滴を受けていた。
「それにしても安心しました。これでひと段落ですね」
天井を見つめながら、円了が語りかける。
となりのベッドで横になっている事務局長は眠ってしまったのか、返事はない。
そのかわり、仕切りカーテンのむこうから、ぐぅぐぅといびきのようなものが聞こえる。
「疲れた……。今日はほんとうに疲れました……」
今度はひとりごちるようにいった。
時間はすでに日をまたぎ、あけがたに近い。
円了も目を閉じた。
体のすみずみまで、重たく感じる。
このまま眠ってしまいそうだ。
そうおもっていると、ぐぅぐぅ、と事務局長のいびきが大きくなってきた。
その緊張感のなさに、おもわず笑いたくなった。
だが。
瞬間。
ゾッとした。
全身に、ぞわりと鳥肌がたった。
なんだ?
なんだ、このおぞけは?
イヤな予感がしたとき、仕切りカーテンのすぐむこうに人影が見えた。
「じ、事務局長……?」
おもわず声をかける。
するとゆっくりカーテンを開け、返事もせずに事務局長がはいってきた。
だがおかしい。
その目つきがおかしい。
白目をむき、滂沱(ぼうだ)の涙をながしている。
正気じゃない。
すぐにわかった。
さらには、
「ぐぅぅ。ぐぅぅぅぅ」
と、立ったままいびきをかいている。
夢遊病者のようだ。
ゆらゆらと歩き、円了のベッドの脇に立つと、いびきの音が変わる。
「ぐぅぅぅぅぞぉぉぉ。ぐぞぉぉぉぉ」
まるで怨嗟(えんさ)をうったえるような音だった。
「ちょ、ちょっと局長、どうしました? 起きてくださいよ」
あまりの威圧感にじっとしていられなくなり、体を起こそうとした。
そのとき、いきなり事務局長が馬乗りになってきた。
両手で円了の首をしめてくる。
ぐいぐいと渾身の力をこめている。
その手をつかみ、あらがう。
だが全体重でのしかかられ、逃れることができない。
「やッ……、やめてくださいッ……!」
苦しみながらうったえるが、声帯をおされ、うまくことばにならない。
一向に事務局長は正気にならない。
まなこからこぼれる涙が、円了の顔にボタボタと落ちてくる。
それどころか、歯をむきだし、
「ぐぞうッ! ぐぞうッ! おまえざえいなげれば……ッ!」
敵意をあらわにしている。
ち、ちがうッ!
ちがうぞッ!
これは事務局長じゃないッ!
誰かが憑依してるんだッ!
仁志潟親子の魂はあの空間に閉じこめられたはずだ。
なら。
だとしたら。
これは。
甘沖。
転魂法を実践しようとした、甘沖だ。
いったいいつ事務局長は取り憑かれたのだろう。
可能性が高いのはあの廃墟だ。
地下室からあがるときに転倒したのは、めまいなどではなく、事務局長の中に甘沖の魂が入ったからかもしれない。
だがおもいあたっても、現状をどうすることもできない。
ナースコールのスイッチを押したいが、そのためには事務局長の手を一度離さなければならない。
しかしそうすれば、殺意をもった手が一気にノドに食いこんでくるだろう。
気道をつぶし、首の骨が折れるかもしれない。
円了の顔面は真っ赤になり、こめかみには今にも破裂しそうな太い血管がういている。
どうするッ?
どうしたらいいッ?
逡巡しているそのときだった。
病室のドアが乱暴に開き、
「――せッ、先生ッ!」
声がひびいた。
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