結界病棟  第40話  『ねがい』



ひと月後。

円了は茨城県にある、あの廃墟をながめていた。

入り口には立ち入り禁止のテープがはられている。

警察が現場確保のためにほどこしたものだろう。


よく晴れた正午であったが、冬の風が冷たかった。

遠くで鳥が鳴いている。

ここにはもう、まがまがしさや不気味な雰囲気は感じられなかった。

人身御供による結界が壊れたせいだろうか。

仁志潟親子の魂がいないせいだろうか。

それはわからない。

たった一日の出来事だったのに、あまりに濃密だったからか、いまだに疲労感が残っている。

だるさを引きずったままだ。

正確にいえば、肉体的にではない。

精神的なダメージが大きい。

それで今日は、ひさしぶりの休日を利用して森林浴をしようとマンションをでた。

だがいつのまにかここにいた。

みちびかれたのか。

あるいは無意識下の行動だったか。

それもわからない。


黄天堂大学病院に入院している峰岸一美は、体に異常がないのだが、いまだに意識をとりもどさない。

当然、娘の結衣とは意思の疎通ができないままだ。

たった一度、インターホンで円了のピンチを教えてきたときに声を聞いただけだ。

母の生い立ちを知りたいという結衣に、灰色の空間で見たことを省略しながら話して聞かせた。

一美の背負ってきた宿命を知って、結衣は泣いた。


おさないとき、なぜ父は母の見舞いをさせてくれなかったのか――。

成人するまで上京することを許さなかったのか――。

それがわかった気がする、と結衣はいった。

本来なら他人の円了が話すべきことではなかったかもしれない。

父の亮平か、母の一美が聞かせるべきであったかもしれない。

だが、ここまで大ごとになってかくしておくことはできない。

さらに、一美にもしものことがあれば、仁志潟の財産は娘の結衣が引き継ぐのだ。

だったらあらかじめ知っておくべきであろう、と判断したのだ。

それからひと月たったが、結衣の口数は減っているようにおもえる。

母をとりまく環境も好転したのだから、お父さんを呼んであげたらいい、と円了がすすめたが、まだ決心がつかないようだった。


理解すること。

気もちを整理すること。

受けいれること。

許すこと。

それらを短期間でこなすことはむずかしい。

その対象が大きく、悲しいことであれば、なおさらである。

心が落ち着くには、まだ時間が必要なのだろう。



廃墟をながめながら、そういえば――と円了はおもいかえす。

中学生姿だったカズミは、自分のスマホをなくしたふりをして円了と行動をともにした。

そしてみちびいてくれた。

三階のコックリさんをおこなった場所。

メッセージの解明。

一階の最奥にあった地下室への扉。

敷地内に埋められた結界をつくるための人身御供。

すべてカズミがいたことでスムーズになぞが解けた。

彼女のおかげだ。

もちろん、自分の家族が発端となったことではある。

解決したいのはカズミもおなじだったろう。

だとしても、感謝してもしきれないのはたしかだ。


そうして目の前にひろがる風景に思いをはせていると、


「先生――」


背後から声をかけられた。

ふりかえる。

カズミだった。

中学生姿のカズミがやさしくほほえんでいる。


「やぁ、カズミちゃん。会える気がしてたんだ」


円了も、にこりと笑う。

だがすぐに、


「あ……。カズミちゃん、と呼ぶのは年上のかたに失礼でしたね」


訂正して頭をさげた。

実年齢ではカズミのほうが上だ。

だが目の前のカズミは中学生。

わかっていながら、おもわず〈ちゃん〉づけしてしまった。


「やだ、あらたまらないでくださいよ」


円了の肩をたたきながらいった。


「先生、今日は森林浴にいく予定だったんでしょ?」


「え? どうしてそれを――」


「病室でね、結衣がおしえてくれたから」


きっと世間話の流れで、円了の予定を眠っている母に報告したのだろう。


「だからね、こっちこい、こっちこい、って念じたの。ここならお話しできるでしょ」


イタズラっぽくほほえむ。

ほんとうかどうかはわからない。

だが、急にこの場所にこようとかんがえたのはカズミのおもいが影響したのか、と円了はうなずく。


「今のカズミさんは、いってみれば幽体離脱をしている状態ですよね。それがこの場所の周辺でしか会えないなんてなにか理由があるんですか?」


そぼくな疑問だ。

そしてさりげなく、〈ちゃん〉から〈さん〉に切りかえた。


「んん~……。生きている地縛霊ってあるのかな……?」


カズミが首をかしげる。


「え?」


「おんなじ場所にしかでられない幽霊のこと、地縛霊っていうんでしょ? だったらわたし、そういうことだよね?」


「あ。なるほど」


地縛霊とはその名のとおり、強いおもい入れがある土地に縛られ、動けない霊のことをいう。

そういうカテゴリーでわけるならば、カズミの魂もこの場所に縛られていることになるかもしれない。


「この建物でいろんなことあったんだもん……。たのしかったことも、かなしかったことも、ぜんぶここにあったんだもん。縛られてるのはあたりまえだよね」


カズミが中学生の姿なのは、一番しあわせだったころの自分を可視化した、アバターのようなものなのだろうか。

もどれない日々の象徴のような姿なのだろう。

そうおもうと、せつなくなった。


「先生にはね、ほんとうに感謝してるんだよ。だってさ、こうしてぜんぶ終わったから」


「終わった?」


「うん。両親の計画も止めることができたんだもん」


転魂法のことだ。


「バカらしいよね。死んだあともまだ自分の欲のために人を襲うなんてさ」


ガッカリしたようにカズミがうつむく。


「あのね、カズミさん」


声をかけ、話題をかえる。


「カズミさんの体はとくに異常がないんですよ。いつ目ざめてもおかしくない状態なんです」


カズミが顔をあげる。


「それでも目をさまさないっていうことは、もしかするとカズミさんの魂がこの場所にとどまっているせいかもしれません。それにくわえて、お父さんたちが張った結界のせいもあったのでしょう……」


カズミがうなずく。


「だとしたら、結界が壊れた今、自由になるチャンスなんですよ」


そういわれ、


「そっか! そうだよね!」


カズミが笑顔になった。

あたらしい希望にめぐりあえたような晴れやかな表情だった。

だが、すぐに顔がくもる。

そして、


「でもね。わたしはやっぱり、ここにいるわ」


と、あきらめるようにいった。


「そしてね、あの灰色の世界にいくつもりなの」


兄の幸一がつくった、インナースペースのことであろう。


「ど、どうして?」


「だってお兄ちゃん、ひとりじゃさみしいでしょ……。あの場所に両親はいても、もう心は通じあえないんだし。わたしがいって、話し相手にでもなってあげなきゃ」


しずかな口調だった。


「そ、そんなことをしたら、体は目ざめませんよ? それどころか、生きる意志をなくして、最悪の状態になるおそれだって――」


「――いいの」


「え?」


「わたしだけ、のうのうと生きていられないじゃない」


両目に涙がうかぶ。


「両親があんなことをしたんだよ? わたしだけ生きのびたって苦しいだけだもん。罪の意識を背負ってさ、呪われた一族だってうしろ指さされて……。そんなふうに生きていっても――」


「――結衣さんは?」


「え」


「結衣さんはどうなるんです? おさないころからずっとあなたに会いたくて。やっと会えて。それなのに目ざめることもなく、またお別れをしなきゃならないんですよ?」


「ゆ、結衣は――、結衣のことは――」


そこまでいって泣きくずれた。

ぼろぼろと涙をこぼし、声をあげている。

円了はかがみこみ、カズミの肩に手を置く。

そして、


「じつはさっき、お兄さんに会ったんです」


と告白した。

カズミは、意外な顔でこちらを見あげた。


「カズミさんから声をかけられる前、お兄さんもあらわれたんですよ」


もう一度おなじことをいった。


「それでね、妹のことをたのむ、っていってましたよ」


「お、お兄ちゃんが……?」


泣きじゃくりながら、聞きかえす。


「ええ。どうか自由にしてやってほしい、って。娘の結衣さんとしあわせに生きていけるようにしてやってほしい、って」


円了がほほえみながらいった。


「乗りこえるまでには長い時間が必要だろうけど、それでもいつか笑えるようになるはずだ。おばあちゃんになって、寿命がきたら、そのときまた会おう……。そういってました」


カズミは自分の胸を抱くようにして泣いた。


「お兄ちゃんッ……! ありがとう、お兄ちゃんッ……!」


なんどもつぶやき、震えて泣いた。


「今、カズミさんをこの場所に縛っているものは、きっとあなたが、あなた自身を許せない心なんです。あなたの過去を。あなたの未来を。あなた自身が、許せていないんです」


円了がいう。


「だいじょうぶ。あなたはひとりじゃない。結衣さんがいる。そして見守ってくれるお兄さんがいる。それだけで、生きていく理由になるはずです」


やさしい声でさとす。

カズミの心に響いた。


でも胸がいっぱいで、うなずくことでしか返事ができなかった。






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