ごらんになってわかるように、わたしには右目がありません。
生まれつき、なかったんです。
それに、体毛の色がきれいではありません。
ふぞろいのまだらで、清潔感のない毛柄をしています。
そのせいか母親にも愛されず、兄弟たちにもうとまれて、家族の輪からすこしはなれた場所にいて、いつもひとりでいました。
ある日、わたしたち家族は人間たちに施設に連れていかれ、保護ネコとしてくらすことになりました。
兄弟たちはあたらしい家族に出会い、どんどんいなくなりました。
母ももらわれていきました。
別れのとき、鳴いて声をかけましたが、母がこちらをふりむくことはなく、やっぱりわたしは嫌われていたんだと実感したのをおぼえています。
その後も、あたらしい保護ネコたちがやってきました。
わたしはそのネコたちとも、うちとけられませんでした。
やはり毛柄のきたなさと、右目がないせいで、いじめられてしまうのです。
わたしは極力、誰ともかかわらず、部屋のすみでうずくまっていました。
この場所にきてから2年がたちました。
片目のないわたしをかわいそうだという人はいても、誰も家族として迎え入れてくれる人はいませんでした。
わたしは毎日、一日中、眠ったふりをしてすごします。
そうすると夢と現実のあいだの意識の中で、おさないときの光景がうかぶんです。
体をなでる風や、花のにおい。
星や月の美しさ。
そして、母や兄弟たちの姿。
ついに愛されることはなかった。
それなのになぜか、家族を思いだしました。
さみしくてさみしくてしかたがない。
この場所にいれば雨も風も、暑さや寒さも感じず、おなかがすくこともない。
でも集団になじめないせいで、よけいに孤独を感じる。
外ならば危険はたくさんあるけれど、虫や鳥の声や、季節の流れを感じるおかげで、こんな気もちにはならなかったでしょう。
こんなとき、人間なら涙というものを流すのでしょう?
でもわたしはネコですから、そんなものは流れません。
ただこのまま。
あとはこのまま、命の終わりを待つだけの毎日。
それがわたしのすべてでした。
そんなある日、
「ネコちゃん。ネコちゃん」
と声が聞こえました。
わたしがよばれるはずがない。
わたしは声に背をむけて、また眠ったふりをしていました。
でもなぜか背中に強い視線を感じたんです。
するとすこしずつ、背中がポカポカあったかくなるんです。
まるで春の陽の光にあたっているような、あんな感じ。
なつかしい、あの感じ。
それでなんとなく、ただなんとなく顔をあげました。
そしたら、
「ネコちゃん。やっとこっちむいたね」
と笑いかける人がいました。
ネコの年齢でいうなら、10歳をとうにこえた女性。
その女性が、
「おいで。こっちおいで」
柵のむこうから手まねきをしてきます。
わたしはとまどいました。
施設の人以外、誰かがわたしに声をかけることなんてなかったからです。
でもなぜかわたしは立ちあがり、女性のそばにむかいました。
そしておもわず、
「にゃーん」
と鳴いたんです。
ガラガラの声でした。
ずっと声をださずに生きてきたから、うまく鳴けなかったんです。
そんなわたしの頭をなで、
「かわいいねぇ」
とほほえみかけてくれました。
かわいい?
こんな毛柄のわたしが?
片目のないわたしが?
兄弟にも、母にも愛されなかったわたしが?
とまどって、女性をじっと見つめました。
でも女性はあいかわらず、
「かわいいねぇ。かわいいねぇ」
とわたしのアゴや背中をなでてくれました。
そして、
「うん、決めたわ」
と立ちあがると、施設の人となにやら話をして建物からでていきました。
またとり残された気分になって、
「にゃぁ」
と鳴いてみましたが、施設の人がチラリとこちらを見ただけでした。
それからまた定位置でうずくまっていると、
「ネコちゃん。ネコちゃん」
と聞こえ、顔をあげるとさっきの女性が笑っていました。
わたしはうれしくなってかけより、
「にゃぁ」
と鳴きました。
女性の手にはおおきなバッグがありました。
見おぼえがありました。
それは母や兄弟、他のネコたちがあたらしい家族に迎え入れられるときに使うもの。
え!
もしかして。
もしかしてわたしも……!
そんな期待が現実のものとなりました。
わたしは女性に引きとられ、いっしょにくらすことになったのです。
それが今の、ママさんなのです。
あとからおしえてもらったんですけど、保護施設でわたしを見つけたとき、
「こっちむけ~こっちむけ~」
って念を送ってたんですって。
だからあのとき、背中があったかくなったんですね。
※『みぃちゃんの話』完全版は電子書籍にて。
※電子書籍化する際に、『ネコいぬ怪談』に変更いたしました。
ネコいぬ怪談
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